東京地方裁判所 平成2年(ワ)7624号 判決 1991年12月24日
原告 甲野花子
右訴訟代理人弁護士 須藤正樹
同 大野裕
被告 株式会社 乙山
右代表者代表清算人 丙川春夫
右訴訟代理人弁護士 新堀富士夫
同 関野昭治
同 大谷美紀子
主文
一 原告が被告の被雇用者たる地位を有することを確認する。
二 被告は原告に対し、平成二年五月から本判決確定に至るまで毎月末日限り金一八万円及びこれに対する翌月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告は原告に対し、金七二万円並びに内金五四万円に対する平成三年一月一日から完済まで年五分の割合による金員及び内金一八万円に対する平成三年一一月二二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
四 原告の請求中、本判決確定の日の翌日から毎月末日限り金二二万五〇〇〇円及びこれに対する翌月一日から完済まで年五分の割合による金員の支払を求める部分を却下する。
五 原告のその余の請求を棄却する。
六 訴訟費用は被告の負担とする。
七 この判決は、第二項及び第三項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求の趣旨
一 主文第一項同旨
二 被告は原告に対し、平成二年五月から平成三年三月まで毎月末日限り金一八万円及び同年四月から毎月末日限り金二二万五〇〇〇円並びに右各金員に対する各翌月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告は原告に対し、金七六万五〇〇〇円並びに内金五四万円に対する平成三年一月一日から完済まで年五分の割合による金員及び内金二二万五〇〇〇円に対する平成三年一一月二二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
四 訴訟費用は被告の負担とする。
五 第二項及び第三項につき仮執行の宣言
第二事案の概要
本件は、被告会社に雇用されていた原告が、被告会社のした解雇の意思表示が無効であるとして、被雇用者の地位の確認と右の地位の継続を前提として毎月の未払給与及び冬季、夏季の賞与の支払を求める事案である。
一 当事者間に争いのない事実
1 原告は、平成元年一一月一日、不動産の販売、仲介などを行う被告会社に雇用され、同年一二月末日限り一旦退職したが、その後、平成二年一月一九日再び被告会社に雇用され、同日から勤務していた。
2 被告代表者は、原告に対して、平成二年三月一六日、同月二五日限りで原告を解雇する旨の意思表示をし、同月二七日、二か月分の給与相当額を支払った。
3 原告は、右解雇の効力を争い、被告会社の被雇用者であると主張している。
4 原告の給与は、毎月二五日締め、同月末日払いの約で、平成二年三月当時月額一八万円であった。
二 争点
1 本件の主要な争点は、本件解雇が原告の主張するように解雇権の濫用に当たるか、それとも被告の主張する解雇理由が認められて解雇の効力があるというべきか、である。
2 付随的には、解雇の効力が否定された場合、原告主張のように原告の給与が増額になったといえるか、賞与の請求が可能か、との点が争われている。
第三争点に関する当事者双方の主張
(解雇権の濫用について)
一 被告の主張する解雇理由
被告は、次のとおり、原告の学歴及び職歴の詐称、資質、能力の欠如を理由に、試用期間中に原告を解雇したのであるから、本件解雇は正当である。
1 学歴詐称及び職歴詐称
原告は、平成元年一一月被告に雇用されるに先立って提出した履歴書の学歴欄及び職歴欄に虚偽の事実を記載していたが、平成二年一月に再採用されるに当たっても、この学歴詐称及び職歴詐称を訂正せず、後に再提出した際も虚偽の学歴を記載していた。
すなわち、原告が当初提出した履歴書には、学歴欄に東京都立丁原高等学校卒業との記載があったが、平成二年一月の再採用の後間もなく、被告代表者が原告に対し、卒業証明書と住民票の提出を要求した。原告は、住民票だけは同月末ころ提出したが、卒業証明書は要求に応じようとしなかった。そこで、被告代表者がその理由を問い質したところ、卒業の記載は虚偽であり、真実は中退である旨を自白した。そして、被告代表者から履歴書の書直しを求められたのに対し、原告は、平成二年二月初めころ、右卒業を中退と改め、昭和六三年四月東京都立戊田高等学校入学、平成二年一月現在同校在学中である旨記載した履歴書を再提出した。しかし、この学歴も、真実は戊田高校通信課程に在学していたのに、同校普通科に在学中であるかのように記載されている点で、虚偽内容を記載したものというべきである。
また、当初の履歴書及び再提出した履歴書のいずれにも、職歴欄に昭和六二年一月株式会社高島屋に入社し平成元年九月退社した旨の記載があったが、原告が株式会社高島屋に雇用されていた事実はないうえ、昭和六〇年一一月二一日から昭和六二年一二月一二日まで原告は米国に渡り、日本にはいなかったことが住民票等から判明した。
被告は、当初原告が提出した履歴書の記載から、原告が高等学校卒業の学歴を有し、株式会社高島屋に採用され、社員として勤務した経験があるものと信頼した。そこで、一般事務員としての能力を備えており、素性も問題なく、社員として十分な教育を受けていると判断して、原告を採用したのである。
2 事務員としての資質及び能力の欠如
原告は、入社後欠勤、遅刻を重ねるようになり、勤務態度も不真面目で、簡単な文書も満足に書けないなど能力に欠けるところがあった。
3 試用期間中の解雇
被告は、原告の当初の勤務ぶりなどから見て、原告を再採用する意思はなかったのであるが、原告から心を入れ替えて頑張るからもう一度働かせてほしい旨強く懇請されたため、再採用に当たっては、三箇月間は試用期間とするという条件を付けていたものである。
二 原告の反論と解雇権濫用の主張
1 学歴詐称及び職歴詐称について
原告が当初提出した履歴書及び再提出した履歴書に被告主張のように記載したことは認めるが、その余は争う。この履歴書の記載は、次に述べるとおり解雇の理由となるものではない。
原告は、当初提出した履歴書に高校中退を卒業と虚偽の記載をしたままであったので、再採用後の最初の出勤日である平成二年一月一九日、前の履歴書が正確でないことを被告代表者に告げ、その了解を得たのである。その際、正確な履歴書と住民票を提出するよう求められたが、休みが取れずに住民票の取得が遅れて同月末になったため、翌二月初めこれらを一緒に提出した。被告は、再提出した履歴書にも学歴詐称があるというが、普通科に入学していないことは原告が毎日勤務していたことから明らかであり、当然口頭では通信制であることを告げていたのである。
職歴については、原告は高島屋の派遣店員として勤務していたもので、正確には派遣店員とすべきものを誤って記載したに過ぎないし、勤務期間も「昭和六三年一月から」とすべきところを一年誤っただけのことである。
2 事務員としての資質及び能力の欠如について
被告の主張する事実は、いずれも争う。
3 試用期間中の解雇について
被告の主張する事実は、いずれも争う。原告は、被告代表者から直接電話があり、被告会社への再入社を強く勧められたため、採用面接中であった他の会社への就職を止めて被告会社に戻ったのである。
4 解雇権の濫用
右のとおり、原告の主張する解雇理由は、その事実がないか、既に解決済みのことであり、正当な理由となり得ないものであるうえ、被告代表者が原告に対する解雇の際に明らかにした解雇理由は、次のようなものであった。すなわち、被告代表者は、平成二年二月末ころから以前被告会社の専務をしていた甲田と原告との関係を邪推するような発言をしていたが、解雇の意思表示に当たって、業務上の秘密が原告から甲田に漏れてしまうおそれがあり、気が休まらない、というような一方的な理由を述べていたのである。これらの点を考慮すれば、本件解雇は、解雇権の濫用であるというべきである。
(原告の昇給及び賞与について)
一 原告の主張
原告と同期に被告会社に入社した同学歴の社員の基本給は、平成三年四月以降、それまでの一箇月一八万円から二二万五〇〇〇円に昇給しており、また、被告会社では、全社員に対し、平成二年の夏及び冬の一時金として同年中に基本給の合計三箇月分が、平成三年の夏の一時金として同年八月末日までに基本給の一箇月分がそれぞれ支払われている。したがって、原告の平成三年四月以降の基本給は一箇月二二万五〇〇〇円であり、また、平成二年の一時金は合計五四万円、平成三年夏の一時金は二二万五〇〇〇円となる。
二 被告の認否
原告の主張はいずれも否認する。
第四争点に対する判断
一 初めに、本件解雇が解雇権の濫用に当たるかについて判断する。
1 被告の主張する高校卒業に関する学歴詐称及び高島屋勤務に関する職歴詐称については、履歴書にこのような虚偽の記載がされたという外形的事実は当事者間に争いがない。そして、《証拠省略》によれば、被告は事務員の募集に当たり、高校卒業以上という条件を付けていたことが認められるし、高島屋に勤務したことがあるということになると、それだけで一定の信用を得ることができることは否定できないところであるから、原告の学歴詐称及び職歴詐称は重大であり、場合によっては解雇を正当とする事由であるということができる。そこで、本件解雇が学歴詐称及び職歴詐称を理由とするものであったかについて検討する。
2 まず、右の学歴詐称及び職歴詐称の発覚と重要な関連を有する履歴書及び住民票が被告に提出されるまでの経緯について見てみると、原告及び被告代表者の供述は、右の経緯に付き重大な点で相違している。すなわち、原告本人は、「平成二年一月一八日被告代表者から電話があり、もう一度勤めてほしいと頼まれて被告会社に再入社することになった。翌一九日出勤後、原告の方から社長室に行き、前に提出した履歴書に高校卒業と記載したが、実際は中退である旨を告げて、被告代表者に謝ったところ、被告代表者は、原告が虚偽の記載をしたことを許し、それまでの履歴書を破棄すると共に、新しい履歴書と住民票を提出するよう要求した。原告は、住民票の取得に手間取ったが、同月三一日これを取りに行き、同日、この住民票と前日の三〇日付けで記載した新しい履歴書を提出した。」という趣旨の供述をする。これに対して、被告代表者は、「原告が再入社したのは、原告から被告代表者に対してもう一度勤めさせてほしい旨懇請があったからである。そして、原告が再度勤め始めた後、被告代表者は原告に対して、卒業証明書と住民票提出を求めた。この要求に対して原告は、平成二年一月三一日住民票を提出したが、卒業証明書をなかなか提出しようとしなかった。そこで、被告代表者が二月初旬及び中旬に卒業証明書の提出を催促したところ、原告は被告代表者に対して、泣きながら高校中退であることを告白した。そして、被告代表者から正しく書き直した履歴書の提出を求められ、これを提出して旧い履歴書の返還を受けた。なお、新しい履歴書の日付は、住民票に併せる趣旨で一月三〇日付けとなった。」との趣旨を述べるのである。
両者の供述は、全体としてはそれぞれに不自然に感じられる部分があって、それ自体を比較してもどちらが信用性があるか、簡単には決しにくいのであるが、被告代表者の供述中には、再提出された履歴書の日付及び提出時期に関し、合理的な説明が付かないと思われる部分がある。すなわち、被告代表者は、この日付は住民票の日付に遡って符合させたものであると供述するが、実際には履歴書は一月三〇日、住民票は一月三一日の日付になっており、一日ずれているのであって、被告代表者の言うとおりであるとすると、この一日のずれがなぜ生じたのか、腑に落ちない点があるといわざるを得ない。さらに、被告はその主張においては、履歴書が提出されたのは二月初旬であるとしていたのに、代表者の供述に至って提出時期を二月中旬以降とした点も単純な誤解と見てよいか疑問である。また、被告代表者の供述によれば、住民票が提出されて間もなく、右住民票の記載から昭和六二年一二月一二日にアメリカ合衆国から転入したことを知ったが、履歴書(被告代表者の述べるところに従えば、前に提出されていた履歴書ということになる。)には昭和六二年一月から平成元年一月まで高島屋に勤務していた旨記載されており、両者の間に矛盾があることから、職歴に疑問を持つに至ったことが認められる。そうであるならば、その後に提出された履歴書に右の矛盾した記載がそのまま残っていたのであるから、これを何も言わずに受け取るという態度にでるのは不自然であるとの感を拭い切れないが、被告代表者によれば、その受領の際にはなんらのやり取りがなかったことになる。これらの点を考慮してみると、少なくとも履歴書の提出時期については、原告の供述の方が信用性が高いものというべきである。
3 履歴書と住民票の提出が平成二年一月三一日であったという事実を前提としてみると、履歴書の書直しをする前に原告の学歴詐称が判っていたわけであるから、学歴詐称をしていたこと自体は原告の再入社後それほど期間を置かないで被告代表者の知るところとなったといえる。そして、職歴詐称についても、前記のとおり住民票の提出後間もなく勤務期間に疑問をもったうえ、その提出があった二、三日後には被告から高島屋に問い合せをして確認した(被告代表者の供述)のであるから、同年二月初めには被告代表者において十分認識していたことになる。ところが、被告が原告に対して解雇の意思表示をしたのは同年三月一六日であって、学歴詐称及び職歴詐称の事実を知りながら一月半もの間、原告に対してなんらの措置も取っていないのである。そうだとすると、被告が原告の学歴詐称及び職歴詐称を直接的理由として本件解雇をしたと考えるのは、いささか問題であって、原告主張のように、解雇理由は他にあるとの疑いを抱かざるを得ない。
4 次に、被告は、履歴書を再提出した際に、通信制在学を普通科のように装ったことも解雇理由となると主張するが、原告が被告会社に勤務していたことから普通科に在学していなかったことは明らかであって、これを捉えて虚偽の内容を記載したということはできないし、解雇に当たり被告がこれを問題としたことを認めるに足りる証拠はない。
また、別の解雇理由として被告が主張する事務員としての資質、能力の欠如については、被告代表者が供述するところによれば、客が来てもお茶も出さない、簡単な漢字も知らない(「曇り」を「雲り」と書いたことがある。)、洗濯物を大きな袋に入れて事務所においていた、というようなことがあったということであるが、原告本人の供述と対比してみると、お茶も出さないとの点はにわかに採用できないし、漢字や洗濯物に関するものも、解雇理由となるような重大なものとは認められない。さらに、試用期間中の解雇である旨の主張も、被告自体本件訴訟の当初主張してはいたものの、真剣にこれを取り上げなくなっていたものであって、本件証拠上も、これを認めることはできない。
5 他方、《証拠省略》によれば、被告代表者は、原告に対して解雇理由の説明した際、前に被告会社の専務をしていた甲田と原告との間の個人的な関係の存在を疑い、被告会社の秘密が右甲田に知られてしまうおそれがあるというような発言をしていることが認められる。
6 以上の点を総合してみると、被告のした本件解雇については、学歴詐称及び職歴詐称を理由としてされたものと認めることはできず、結局その理由は明らかではなく、正当な理由とはなり得ない事由をもって解雇した疑いが強いものといわざるを得ないのである。そうだとすると、本件解雇は解雇権の濫用に該当するというべきであり、その効力を否定せざるを得ない。したがって、原告の被雇用者としての地位確認請求は、理由がある。
二 次に、原告の給与及び賞与の請求について判断する。
原告の給与が平成二年三月現在一月一八万円であったことは争いがないところ、原告本人は、被告会社の同期の者の給与が平成三年四月から二二万五〇〇〇円に増額されたと供述するが、同時に、被告会社に原告が再入社したときに勤めていた社員は三人であり、これらの人はすべて退職しており、原告が勤務していたころいた社員で残っているのは、原告の後に入社した社員が一人いるだけであるとも述べている。そうすると、原告の右の同期の者の給与に関する供述だけから、原告の給与がその主張するとおり増額されたはずであると認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。したがって、原告の毎月の賃金請求は、一箇月一八万円の限度で理由があることになる(なお、将来の分については後述のとおり)。
賞与については、原告本人の供述から、被告会社において原告主張のとおり賞与が支給されていることが認められ、特段の事情が認められない以上、原告が勤務を継続していた場合には、原告にも同じ支給率で賞与が支給されたものと認めるのが相当である。したがって、原告の賞与の請求は、給与を一箇月一八万円として算出した分については、理由がある。
三 最後に、将来の賃金請求について検討するに、原告は、本判決確定の後についても毎月の賃金の請求をしている。しかし、雇用契約上の地位の確認と同時に、将来の賃金を請求する場合には、地位を確認する判決の確定後も被告が原告からの労務の提供の受領を拒否して、その賃金請求権の存在を争うことが予想されるなど特段の事情が認められない限り、賃金請求中判決確定後に係る部分については、予め請求する必要がないと解すべきである。本件においては、右の特段の事情を認めることができないから、本判決確定後の賃金請求は、不適法であるというべきである。
(裁判官 相良朋紀)